大韓航空機YS-11ハイジャック事件とは?

この事件は、1958年の滄浪号ハイジャック事件に次ぐ大韓民国(韓国)史上二番目の政治的な航空事件であり、翌70年のよど号事件に対する韓国当局の対応に微妙な影響を与えた。また、事件後に一部乗客が北朝鮮から帰郷を果たせなかったことから、北朝鮮による拉致事件であるといえる。なお、この事件により、日本の国産旅客機YS-11が北朝鮮に強奪された。
事件後、北朝鮮はこの事件で人質となった乗員・乗客を政治的交渉のカードとして扱おうとした。事件後の同年12月22日、国連軍の要請により板門店(パンムンジョム)で「軍事停戦委員会秘書長会議」が開かれ、国連軍側は乗客・乗務員及びに機体の早速な送還を要求した。しかし、北朝鮮側は国連軍の介入する問題ではないと主張して人質外交を展開する予兆を現わし、「亡命」したはずの操縦士以外の乗員乗客をただちに送還する姿勢を見せなかった。韓国側も、赤十字社の仲裁による交渉に乗り出そうとしたが、北朝鮮側はそれを黙殺し、同年12月24日には、むしろ「操縦士歓迎市民大会」を開いて政治宣伝を行なった。

大韓航空機YS-11ハイジャック事件の詳細

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